Call to Arms 連続クソコラ取材「UAF訓練教官T曹長の話」
GRMメンバー「G」氏とカフェで分かれてから我々Paddington Postの取材記者は北アフリカに移動してUAFの取材を行うことにした。
北アフリカの某都市で我々はついに「T」という日本人でUAFの訓練教官という人物と会うことができた。
しかしそのT曹長の波乱に満ちた半生に取材班が圧倒されてしまうのであった。
T曹長は昔、ワルと呼ばれる仲間とは大体友達だったという過去がある。その仲間たちと思いついたビジネスが、日本で車検切れになった車両を、新型との交換に入るフェリーに搭載してアフリカ東部に輸出するという商売だった。
「あのころは豪邸で贅沢三昧してたね。日本のゴミクズ売って丸儲けってこんな美味しい商売なかったからね」
T曹長は元水兵や船員等、失職した船員を雇い、ラスト・クルーズと称してフェリーに車検切れした車両を積んで車両とフェリー両方を売り払っていたのである。
「航海の危険はまったくなかったから船員保険にだけは水夫にかけてた。でも船体と貨物には無保険だったことは今から思うとマズかったね」T曹長が炭酸飲料を飲みながらそう語っている。
ではなぜT曹長が軍人になったのか、その理由をあえて尋ねることにした。
「まあ、俺とその商売仲間はうまく遊び暮らしてた。いい生活送らせてもらってたよ」
「だが、突然反乱が発生した。その時は手荷物まとめて家から出るので精一杯だったね」T曹長が言った。
「で、結局俺以外の商売仲間は反乱軍に連れ去られて行方不明になったまま。俺だけがジャングルをなんとか取引先の案内で逃げて回ってたわけ」T曹長の顔が途端に曇る。(写真:後日T曹長がその都市に戻った時に部下に撮影させたもの)
「そこからの人生は最低最悪。反乱軍の領土はどんどん拡大し、逃げ延びられないと俺は腹をくくることにした」T曹長はこの時点でUAFに志願したそうである。
「ともかく生きるために戦っていた。今いる場所を守らなければ明日は無い。そうやって俺は戦う方を覚え、いつの間にか徴募兵分隊の分隊長を任されていた」T曹長はわずか1年で1志願兵から軍曹になっていたのである。
「無論、徴募兵たちは不本意に戦っていた。だから言ってやったさ、逃げ場はもう無いから諦めろってな」T曹長は当時を語った。
T曹長の部隊はかなりの生存率を保ち多くの分隊長を輩出した。その功績を買われての曹長昇格と訓練教官就任へと至る。
「向こうもこっちの顔を見ると慌てて引き返すし、自分を狙い撃つ奴を大勢現れたな、全部こっちが返り討ちにしたけどな」T曹長は当時の前線生活をこう語った。
「喧嘩の仕方だったら俺のほうが遥かに経験積んできたし……」
後日T曹長の知人に尋ねると「あいつは寝ている時以外は殴る蹴るの喧嘩してたからな。しかもあいつは体力だけでなく根性も強いから次から次へと挑戦するバカを全部返り討ちにしてたらしい」と呆れた顔で語っていた(その知人たちは極秘に余裕ができればをUAFに軍資金として送金し続けている)。
その後T曹長の紹介でUAFとの同行取材の許可が出たので我々は前線へと向かうことにした。
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